2ntブログ
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お久しぶりです。
前回の記事からまただいぶ間があいてしまいました。
その間にコメントくださった方々、お返事が遅くなり申し訳ありません。
これから徐々にお返事させていただきますね。

さて、前回の再開から、今までに何があったかと言いますと、実は半年間ご主人さまと離れていたのです。物理的な距離だけのお話ではなく、お別れしていた、というほうが伝わりやすいでしょうか…

お友達紹介までしてなぜ?と思われるかも知れません。
でも、気付いてしまったのです。自分の素質の限界に…

紹介させて頂いたお友達は、嫉妬も気持ち遊びの一種として楽しめるタイプの子でした。
私にはそれが出来ませんでした…
嫉妬の気持ちは、お友達紹介が出来ても変わらず存在し続けて、以前と変わらず苦しくて…
お友達紹介が出来たら何か違う景色が見えるかも、違う自分になれるかも、とありもしない期待を抱いて必死に走って来たけれど、それはただの幻想でした。
次第に、こんなに嫉妬ばかりして、遊びと割り切れない私はご主人さまに相応しくないんじゃないかと思うようになりました。
奴隷には向いてない、奴隷を出来る素質がない、だからそばにいるべきじゃない、普通の人といるべきだ、と…

ご主人さまにお別れを告げ、普通に大事にしてくれる人と普通の生活をしようと…

それでも毎日考えるのはご主人さまのことばかり。
思い出しては涙ばかり溢れる日々でした。
仕事で忙しくして気を紛らわせようとしても、色の失われた日々は変わらない、そんな時間を過ごしていました。

ご主人さまと離れて、今まで一緒に過ごしてきた一瞬一瞬がどれだけ大切だったかを痛いほど感じました。

離れても、私の幸せを遠くからでも願うと言ってくださったご主人さま。
自分で決めて偉かったね、と私のわがままも受け入れて送り出してくださったご主人さま。

こんなに深い愛で私を守り包み、私の人生を照らしてくれる存在はほかにはどこにもいない。


だから再び帰りたいと言った私を受け入れてくださったご主人さまには本当に感謝ばかりです。

私は大馬鹿者でした。
奴隷の素質がない、とかそんなことは大切ではなく、変わらずご主人さまのそばにいさせて頂くこと、それが全てなのだ、とどうして気付けなかったのだろう、と。
全ての時間は一瞬で、二度と同じ時は戻らないから、愛しい人とのお時間は、とてつもなく貴重で幸福です。

そんなかけがえのないお時間を、どうか大切にしてほしい、とそんな思いでこの記事を書きました。
私からのささやかなクリスマスプレゼントになれば幸いです。
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実はなぜブログを再開、しかもご主人さまと!させて頂くことになったかと言いますと…

例の、ずっと実現を夢見ていたお友達紹介が実現出来たからなのです!!

お友達紹介が出来ない限り調教は進まないとご主人さまからも言われておりまして、ずっとずっと探し続けて、ついに実現出来ました。

相手の方のことは詳しくは申し上げられないのですが、実現出来た日のことは決して忘れることの出来ない大切な日になりました。

目の前でご主人さまが友達とセックスしているのを見て、夢の中のように現実味がなくて、その気持ちをなんと表現して良いのか、今もわかりません。

やっと実現出来たという嬉しさと感慨深さと高揚感と、いやらしく絡み合う二人の姿に対する興奮と、友達へのほんの少しの罪悪感と、そしてずっと待っていてくださったご主人さまへの感謝と愛情と…

こんなにたくさんの種類の気持ちが一緒に湧くのは初めてで少し戸惑いました。

そして、不思議なことにご主人さまとお友達がセックスされている最中は嫉妬という感情がほとんどなかったのです。
今思えば気付かないようにしていたのかも知れません。

後日にご主人さまがそのお友達の名前を読んだり、お話をされるたびに、嫉妬という感情の輪郭がはっきりしてきたように思います。

ご主人さまはそれも計算尽くだったのかも知れません…

ご主人さまの言うことをなんでもお聞きして、ご主まにとって可愛い存在でいたい自分と、それをしようとすることによって苦しむ自分。
その狭間で揺れ動きながら、ご主人さまへの忠誠や愛情を表現しようと必死になる私を、ご主人さまは楽しんでいらっしゃったのかもしれません。
実現してやっと、客観的な目線で理解することが出来ました。

私のご主人さまは、とても無邪気で残酷なお方で、そしてこの世の誰よりも愛しい存在です。

わんこを応援してくださっていますファンの皆様いつもありがとうございます。とても嬉しく思っております。

今日は質問の中で最も多く聞かれることについて僕の考えをお話しします。僕とわんこの関係性です。多くは同じく主従関係をお持ちの方からの質問が多い気がするこの質問。

一言で言うならば宗教です。わんこにとって僕が絶対的な存在でありカリスマである点で同じだと言えると思います。そして価値観の矯正をしていく点でも同じだと言えます。強要するのではなく順応させること、共通する点はたくさんあります。本能的に感じてのことでしょうが先日わんこは僕に教祖様に向いてると言いました。そこまで分かっていて隣でシッポを振っているわんこに僕は心の中で微笑ましく笑いを堪えるのでした。

話は変わりますが、僕はわんこを束縛したことは一度もありません。したければ浮気は自由です。彼氏を作ることも自由です。そして僕も一度としてわんこに束縛されたことはありません。他の女とすることを咎められたことも一度もありません。主従関係において束縛は、ご主人様が奴隷に対し力をもってして肉体的あるいは精神的に拘束することと考えられがちです。しかし本当の束縛は他人によりされるものではないというのが僕の考え方です。ご主人様への尊敬や愛で自らにより拘束される束縛こそが本当の束縛なのだと。これが僕の持論です。つまり束縛は奴隷自身の中でのみ成立するのです。

では僕はわんこを奴隷として繋ぎ止めておくために何をしているのでしょうか。

僕がしていることは前だけ見て自分自身を曲げることなくただ走り続けることです。そしてわんことっていつまでも憧れで追いかけたい人間でいる努力をし続けることです。わんこの歩調に合わせずにただひたすらに我が道を走り続けるのです。必ずわんこが追いかけて来ているはずだから。そう信じて。

この話をすると不思議がられます。
主従関係の概念からはかけ離れているからでしょう。僕とわんこのセッ○スを見たことのある人ならばなおさら不思議に思うはずです。
玩具のように粗末に扱われて傷つけられながら感じるわんこと僕のセッ○スは表向きは完璧なSMになっているからです。
真のドMは愛が無いからこそ純粋に痛みや苦しさのみで絶頂を味わえるものなのだろうと思いますが、僕が求めるのはそれではありません。ただのメスとして人格も無視されて犯される快楽を求める女には価値を見出せません。
わんこのように自らに束縛された女性が儚さと艶をまとうのだと僕は感じるのです。

わんこから送られてくるラインの最後によく付いている可愛らしいフレーズがあります。
「ご主人様にずっと使いたいと思って頂けるように」です。
わんこはその身体を玩具として使ってもらうためにたくさんの努力をします。それは大好きな人に好きだと思われたい乙女心とたいしてかけ離れてはいないように感じます。

簡単なようで難しいでしょうか。
これが僕とわんこの関係の答えです。
お互いが相手を束縛しあい可能性を狭める内向的な関係ではなく、お互いそれぞれ相手にとって相応しい人間であるために自分の価値を上げる努力する関係です。そして尊敬と愛に自ら束縛を受けるそんな関係です。
そんな大きな愛ゆえに行き場を失って暴走した想いが性欲とあいまってSMとなるのでしょうか。奴隷に全てを受け入れる覚悟が生まれるのでしょうか。奴隷の愛の限界を試すべく痛めつけるのでしょうか。僕は僕自身の感情の源が何であるのか分からぬままわんこの身体を玩具にしているのです。

主従関係とはとかく自己中心的な男と都合の良い女の組み合わせになり、都合の良い女を留める為の餌にされることが多いものです。
皆様の主従関係がお互いの求める本当の愛の行き着く先の形でありますよう願っています。

natuki



初めまして、なつきです。
皆様にご挨拶をさせて頂くのは初めてとなります。

わんこのファンの皆様には深く感謝しております。わんこに対して性的な魅力を感じてくれる方、ひたむきで素直なわんこを暖かく応援してくれる方、絵として綺麗だから好きな方、皆様本当にありがとうございます。

少しだけ昔話をさせてください。

若くして結婚していたわんこと出会ったのはもう8年前になります。待ち合わせたのは新宿の南口。
道行く女性の中でも群を抜いて綺麗な女性でした。そして某有名大学の法学部を卒業して有名企業に勤める絵に描いたような才色兼備の女性でした。
しかしその綺麗な女性は寂しさと満たされない遣る瀬無さで光の無い目をしていたのでした。「あぁ、人形みたいな女性だな」これが僕の第一印象でした。
そして鮮烈なまでのMの空気に長年探していた玩具を手に入れたことを確信したのを覚えています。新宿駅南口のエスカレーターの横で初めて会った僕の命令でわんこは人混みの中乳首を晒しました。これがわんこと僕の始まりでした。
僕は奴隷人形として性欲の赴くままにその綺麗な身体を玩具にして遊び、傷付け、処理に使いました。もはや感じた振りもできなくなった旦那とのセックスで汚された身体を僕に汚し直してもらうために通う偽りの生活をしながら自分の居場所を見つけたのでしょう。そして程なく離婚したのでした。わんこはその身体を傷だらけにされながら初めてイクことを覚え、満たされ、自分が存在する意義を知ったのです。それはわんこの暗く閉ざされた心が光を受けた瞬間でした。
色々なカップルがいて、色々なSMがあって、色々な愛が存在する。僕はそのどれも否定はしません。SMにルールは無いと思っています。ただ、わんこと僕が辿り着いた場所がここだったというだけです。
僕はわんこの身体を壊し、血が流れ、あざができて、綺麗な身体に一生消えない傷を付けながら僕も生きている意味を知るのです。
歪んだ愛を受け止めるMの器の大きさを知りながら自分の衝動を抑えられずただ駄々っ子のように…。
身体はただの器であって、その中のモノが欲しくてどうしようもなくて、だから身体を壊したくなるのでしょうか、乱暴に扱ってしまうのでしょうか。
わんこは8年が過ぎた今でもセックスの時に涙を流します。僕のことが愛おしくてその想いで流れるのだそうです。
僕は同じように愛を伝えてあげられません。言葉は偽ることのできるツールでしかないので愛しているとも言えません。だから伝えられないもどかしさで明日もまたわんこの身体を切り裂いて溜まったものを吐き出すために使うのでしょう。
最後にブログを書かせて頂いてから半年以上あいてしまいました。
変わらず、ご主人さまにたくさん愛情を注いで頂きながら幸せな日々を送っております。

そして、これからはブログをご主人さまとともに再開させて頂くこととなりました^ ^
ご主人さまと一緒に、というのにとても憧れていたので嬉しいです>_<♡

これからよろしくお願い致します。